2011年3月13日日曜日

またもや久々の更新となりましたが…

2月は我々個人営業の自営業者にとっては色々と忙しい月でして、確定申告とかもある上にひと月が28日と通常の月よりも2日も短く、特に今年は26,27日が土日で月末の納期も月頭の支払いも期間が短く大変でした。そんなわけで言い訳だらけではじまったブログですが、発売中の2月発売のとれいん3月号です。私の模型製作技術の革命でもある「南海ラピート」が載っております。

 別記事ですが、紙成模型塾のペーパーの京浜急行、みなさんうまいですね!かつて歌川の型紙(古っ!)のクモハ52に果敢にも挑戦し!サフェーサーを吹いて磨いているうちにあえなく挫折してしまい、以来ペーパーはやってなかったんですがまた挑戦してみようかな?と思ったりしてます。(いきなりクモハ52かい!ちゅうツッコミはなしですよ)

実はこの記事は11日に途中まで書いていたのですが、書いている最中に揺れを感じ、ラジオの情報を聞いていると東日本がすごいことになっているらしくテレビのNHKのニュースをつけると名取川に津波が上がってきているところでした。映画のシーンかと思うような大津波、恐ろしくて絶句してしまいました。私も阪神大震災を経験しているだけに他人事とは思えません。しかし津波は経験してませんし、あそこまでひどいとなんとも…福島原発の事故など、この世の終わりかと思うような大災害、私はなにもできませんが義援金はしようと思っています。高校の頃チャレンジ20000kmで当然ながら三陸沿いの線は全て乗りました。景色がよく、魚がうまかったのを今でもはっきり覚えています。釜石はキハ58が製鉄所の中を走っているのか?みたいな錯覚をするぐらい大きな新日鉄釜石がありました。大船渡の次の駅、盛には当時旅客営業をやめたばかりの岩手開発鉄道の「キハ07」もどきや「キハ201」でしたっけ?あのペッタンコの前面のディーゼル車が2両つながれて留置されていました。気仙沼の駅前にはホテルサンルートが建っており、静かな街に真っ白なホテルがやたらと目立っていたのを覚えています。他にもいろいろ思い出があります。あの街が一瞬にして消え去ったなんて未だにピンときません。大地震の被災された方々にお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興をお祈りしております。

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