2011年3月24日木曜日

とれいん4月号発売中です

今回はGM日本橋店長の嶽部さんの作品がメインです。私は窓から出入りしてるだけ…(笑)詳しくは記事をご覧ください。

先日気づいたんですが、GMブログの「大山通信」にこの対談がなぜか「鉄道模型漫才」として紹介されていました。ご担当の(か)さん、ありがとうございます。
その漫才、運がよければ?(悪ければ?)GM日本橋店におきまして生で聞くことができるかもしれません。店長曰く「たま~に壁に向かって肩震わせてる人がおるで。笑うに笑えんのやろなぁ…。気の毒に」と言われてましたので、そういう時は我慢せず笑ってください。よろしくお願いします。

展示会終わりました

そして昨日体調を少し崩し一日中寝ていました。今日はもうスッキリなんですが、部屋で一人で寝ていると日が落ちる時間になると何とも言えないさみしさを感じますね。
展示会にお越しいただいたお客様、ありがとうございました。阪急6300系を作ったり、いきなりYS-11を作ったりと色んなことをしてましたが、いつも思うのは「ハンダが流れない」という質問が多いことです。で、答えはいつも「それは熱不足です」なんです。この一言と実演で納得してもらえます。

そういう事もありまして、来月から神戸三宮のミント神戸17階神戸新聞社文化センター(三宮KCC)にて「おとなの工作談義『鉄道模型』メンテナンス&制作テクニック」の講座を始めます。開講は来月の4月10日からですが、明々後日の27日に体験講座もおこないますので、よろしければお越しください。お待ちしております。
詳しくは
http://k-cc.jp/pg/29/School.aspx
をご確認ください。

2011年3月17日木曜日

Joshin神戸三宮鉄道模型展示会

今週末の19日〜21日に予定しておりました通常のショーは中止となりましたが、規模を縮小し展示会として開催する事になりました。そこで今回も実演をやります!ブラスキットの組み立てだけでなく、GM製品も組む事になりそうです。各メーカーのメンテナンスについてもお答えできますので是非お越し下さい。こんな時ですが私達の住む関西まで気持ちが沈んでしまったら日本がどうしようもありませんから、お近くの方はお来しになって少しでも楽しんでいってください。皆様のお越し、心より待ちしております。

2011年3月13日日曜日

愛用の箸

最近おなじみですよね?九州新幹線バージョンほしいなぁ…。100系は二階建てが邪魔になって食べづらいかな?

さて宣伝です。

先日3月1日にオープンした「ジオラマ・京都・JAPAN」と隣接する19世紀ホール2階にあるお店へ「DE10 1104」を収めてきました。KATO製の16番のDE10を当工房にて塗り替えたものです。
ジオラマ内に1両置いてありますが、19世紀ホールの2階のお店では販売する予定です。詳細については鐵風館の方へお問い合わせください。 

またもや久々の更新となりましたが…

2月は我々個人営業の自営業者にとっては色々と忙しい月でして、確定申告とかもある上にひと月が28日と通常の月よりも2日も短く、特に今年は26,27日が土日で月末の納期も月頭の支払いも期間が短く大変でした。そんなわけで言い訳だらけではじまったブログですが、発売中の2月発売のとれいん3月号です。私の模型製作技術の革命でもある「南海ラピート」が載っております。

 別記事ですが、紙成模型塾のペーパーの京浜急行、みなさんうまいですね!かつて歌川の型紙(古っ!)のクモハ52に果敢にも挑戦し!サフェーサーを吹いて磨いているうちにあえなく挫折してしまい、以来ペーパーはやってなかったんですがまた挑戦してみようかな?と思ったりしてます。(いきなりクモハ52かい!ちゅうツッコミはなしですよ)

実はこの記事は11日に途中まで書いていたのですが、書いている最中に揺れを感じ、ラジオの情報を聞いていると東日本がすごいことになっているらしくテレビのNHKのニュースをつけると名取川に津波が上がってきているところでした。映画のシーンかと思うような大津波、恐ろしくて絶句してしまいました。私も阪神大震災を経験しているだけに他人事とは思えません。しかし津波は経験してませんし、あそこまでひどいとなんとも…福島原発の事故など、この世の終わりかと思うような大災害、私はなにもできませんが義援金はしようと思っています。高校の頃チャレンジ20000kmで当然ながら三陸沿いの線は全て乗りました。景色がよく、魚がうまかったのを今でもはっきり覚えています。釜石はキハ58が製鉄所の中を走っているのか?みたいな錯覚をするぐらい大きな新日鉄釜石がありました。大船渡の次の駅、盛には当時旅客営業をやめたばかりの岩手開発鉄道の「キハ07」もどきや「キハ201」でしたっけ?あのペッタンコの前面のディーゼル車が2両つながれて留置されていました。気仙沼の駅前にはホテルサンルートが建っており、静かな街に真っ白なホテルがやたらと目立っていたのを覚えています。他にもいろいろ思い出があります。あの街が一瞬にして消え去ったなんて未だにピンときません。大地震の被災された方々にお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興をお祈りしております。